原美術館と私

原美術館に初めて訪れたのは、ジャンミッシェルオトニエル氏のオープニングパーティ。

どの国に行くかも決めていない、ヨーロッパ3ヶ月無計画1人旅の、まさかのメインとなる、もはやヨーロッパではない、ロシアから爆撃を受けた直後のグルジアの地で出会った、スウェーデン在住の夫婦の友人で、日本に住むアメリカ人からの招待だった。笑

時を同じくして、のっぽんはフランスのとある作家から、このオープニングパーティに行くように、招待状もないまま指令されていた。

私たちは、たった1日しかないこのオープニングパーティに、どういうわけだか、行く事が、予め約束されているかのようだった。

大人になってからパーティと呼べるものなんて行ったこともなくて、どんな格好をしていいのかもわからず、とりあえず、フランスの作家さんだから。と、当時好きだったダニエルエシュテルのコートを着て出かけた。寒い日だった。

それから一年程経ち、ソフィカル氏の展覧会が原美術館で行われ、群馬のハラアークミュージアムでも関連作品として「限局性激痛」が展示されると言うので、品川の原美術館から群馬のハラアークへのツアーに参加する事となる。

このツアーで、キラキラの友人と出会う。

私は18歳の時、最愛の友と出会った。世界は魔法にかかった様に輝き始め、愛に満ち溢れ、毎日が特別になった。そして、その友が自ら命を断つことで、世界は一瞬にして輝きを失った。

それからの私は、もはやあんなに美しい世界は訪れないから。と、諦め、そしてどこかで、あの美しさを超えたくないという想いもあって、完全に「晩年」を生きていた。

それから10年以上経ったその日、キラキラの友人に出会って「世界にはまだ美しい出会いがあるじゃないか!」と、やっと目が覚めた。

ようやく、私の「晩年思想」の呪いが解けた瞬間だった。

原美術館の空間が優しく美しいのは、ここが著名な建築家によるモダニズム建築だったからだけではなく、人生をより豊かにしようと美を求める、貪欲な純粋さを持つ人たちが「あなたもどうぞ楽しんで。」と、懐深く、いつでも門を開いていてくれていたからなんだ。

と、改めて気づく。

愛獣を失った時もこの温もりある美術館に包まれたなぁ。ここはいつでも暖かいんだ。

閉館はするけれど、不思議と悲しみよりも、

これからも宜しくお願いしますm(__)m

と、思うのは、

須田悦弘さんが閉館5日前に作った曼珠沙華の花が、ヴオッと、私の中に原美術館という消えない火を灯してくれたからなのかもしれない。

ありがとうございました。