気づけば色々ハンガリー

こんばんは。

先日えんdoちゃんが、いらない照明と鏡と鞄を持って行ってくれて、今日は角侍が新居に置くスペースのない棚と椅子を持って行ってくれたので、スッキリしました!ありがとう!!

引っ越しから1ヶ月経ち「引っ越しの疲れは1ヶ月後にまた来るんだよ(ドーン)!」と、かつて、ぶち姐さんが喪黒福造の様に指差して私に伝えた呪いを思い出します。。。確かに。

でも峠は越えたの!!スッキリしたの♪♪

んで、そういえば、我が家のキッチンは、角侍と会ったハンガリーの、のみの市で買ったグッズが大活躍していると気づく。

本日右から、味噌汁作り、三つ葉湯がいたのを掬い、野花つんで入れて、出汁巻卵焼き作りました(ハンガリーではあり得ない使われ方)。

9年前、オーストリア➡︎ハンガリー➡︎スロバキア➡︎ポーランド➡︎フランス➡︎セルビア➡︎トルコ➡︎グルジア➡︎ラトビア➡︎リトアニア➡︎ドイツ➡︎チェコ(あり得ないルート)を3ヶ月かけて、リュックひとつで無謀な1人旅をしました。

ハンガリーは路上で踊ったり、お仕事貰ったり、ストーカーされたりと思い出深い国です。

のみの市では「1956」と書かれたピンバッチを沢山見かけて、意味も分からず、デザイン気に入り、お土産に買ったのを記憶しています。

後で調べると「ハンガリー動乱」の年だとわかりましたが、それ自体がどんな事件なのか、その時はよく分からなくて、、、今日改めて調べてみる事にしました。

当時も多少なりとヨーロッパの歴史を知りたくて、第二次大戦下のハンガリーが舞台となったアゴタ・クリストフの「悪童日記」を読みながら旅をしていましたが「ハンガリー動乱」はその後の事。ソ連の支配からの反乱を起こしたハンガリーがソ連に蹂躙された事件。

これにより、約25万人のハンガリー人が各国に亡命し、作家のアゴタ・クリストフ自身もこのハンガリー動乱の時に西側に亡命した人でした。亡命したハンガリー人の中には、今でも厳しい待遇を受けている(例えばかつてハンガリーが支配した国などで)人も多いそうです。

ハンガリーはまだユーロ導入の条件を満たしていない貧しい国。それ故に古い建物が建て直される事なく、生々しく傷跡を残しています。私にはそんな街が美しく、尊く見えました。

温泉もあるし、ご飯も美味しいんですよ!

意味も分からず買った1956年のピンバッチ、もはや誰に渡したのかも覚えていないけど、、もしわかったら「暗い日曜日」「悪童日記」「君の涙ドナウに流れ」の三本立で一緒に映画観ましょう!グヤーシュスープ作るから!